年中夜長を望む人の憤り

重い想いを思いのままにつらつらと

感謝おじさん

何にでも感謝する人がいる。

感謝すること自体は素晴らしい。そんなこと否定するつもりは毛頭ない。

 

過去の偉人だって、感謝は重要だと言っていたそうだ。

「感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく」
松下幸之助パナソニック創業者

 

感謝できるということは、それだけ「何かをしてもらえた」ということで、しかも「そのことに気付くことができた」という状態なのでしょう。

それは間違いなく人徳であるし、それを伝えることで信頼を生み、また「何かをしてもらえる」状態になるのでしょう。

 

何度もしつこいが、感謝すること自体は何ら問題ないし、素晴らしいと思っている。 

 

 

だが、ときどきそれが「多すぎる」人はいないだろうか? 

何にでも感謝する人。

そして、それをSNSなどで発信しまくる人。

それを私は「感謝おじさん」と呼んでいる。

 

  • 出会いに感謝
  • 仕事に感謝
  • チームに感謝
  • クライアントに感謝
  • 家族に感謝

これくらいならまだ良いが、

  • 山に感謝
  • 海に感謝
  • 景色に感謝
  • 夕陽に感謝

と対象が広がっていく。

 

挙げ句の果てには、なんの脈絡もなく

  • 今日も感謝

と来ることもある。

 

こんなに感謝するのは、「感謝おじさん」と「ヒップホッパー」くらいじゃないだろうか。

もはや呼吸するように感謝してる。

 

 

「何かをしてくれた人」に対して感謝することはとても重要だと思うし、その心の余裕をもっと持ちたいとも思っている。

だが、生物・無生物関係なく感謝し、さらには「何もなくても感謝」してしまうと、その人の「感謝の信用度」が下がってきてしまわないだろうかとすら思う。なんだか、薄っぺらくなってしまわないだろうか。

 

 

SNSで飛んでくるたくさんの感謝は、もはやレイプだ。

感謝のDV。感謝ハラスメント。

 

こんなこと書いてると、「そんな風に思うなら、SNSのフォローやめればいいじゃん」と言われそうだが、そういうことではないのだ。

むしろ、おもしろいからいいのだ。

「感謝おじさん、今日も感謝してるなー」って。通常運転を確認しているのだ。

 

 

感謝おじさん。

今日は何に感謝するだろうか。

いつか、溜まりに溜まった恩を返せる日はくるのだろうか?