感謝おじさん
何にでも感謝する人がいる。
感謝すること自体は素晴らしい。そんなこと否定するつもりは毛頭ない。
過去の偉人だって、感謝は重要だと言っていたそうだ。
感謝できるということは、それだけ「何かをしてもらえた」ということで、しかも「そのことに気付くことができた」という状態なのでしょう。
それは間違いなく人徳であるし、それを伝えることで信頼を生み、また「何かをしてもらえる」状態になるのでしょう。
何度もしつこいが、感謝すること自体は何ら問題ないし、素晴らしいと思っている。
だが、ときどきそれが「多すぎる」人はいないだろうか?
何にでも感謝する人。
そして、それをSNSなどで発信しまくる人。
それを私は「感謝おじさん」と呼んでいる。
- 出会いに感謝
- 仕事に感謝
- チームに感謝
- クライアントに感謝
- 家族に感謝
これくらいならまだ良いが、
- 山に感謝
- 海に感謝
- 景色に感謝
- 夕陽に感謝
と対象が広がっていく。
挙げ句の果てには、なんの脈絡もなく
- 今日も感謝
と来ることもある。
こんなに感謝するのは、「感謝おじさん」と「ヒップホッパー」くらいじゃないだろうか。
もはや呼吸するように感謝してる。
「何かをしてくれた人」に対して感謝することはとても重要だと思うし、その心の余裕をもっと持ちたいとも思っている。
だが、生物・無生物関係なく感謝し、さらには「何もなくても感謝」してしまうと、その人の「感謝の信用度」が下がってきてしまわないだろうかとすら思う。なんだか、薄っぺらくなってしまわないだろうか。
SNSで飛んでくるたくさんの感謝は、もはやレイプだ。
感謝のDV。感謝ハラスメント。
こんなこと書いてると、「そんな風に思うなら、SNSのフォローやめればいいじゃん」と言われそうだが、そういうことではないのだ。
むしろ、おもしろいからいいのだ。
「感謝おじさん、今日も感謝してるなー」って。通常運転を確認しているのだ。
感謝おじさん。
今日は何に感謝するだろうか。
いつか、溜まりに溜まった恩を返せる日はくるのだろうか?